セクハラ発言が「引っかかる」わけ

  自民党の「セクハラ宣言」は何だかしっくりこない形で無理やり終結させた感じですが・・・

 6月18日に自民党から「女性の健康の包括的支援に関する法案」が提出されて、少しは政治家のおじさま方も女性の健康支援について幅広い視点とサポートが必要だと認識して下さったのかしらね~なんて思っていたのに、残念ですね。
 でも、口にはしないまでも問題となっている議員さんと同じことを女性に対して思っている人はきっとまだまだ多いのだと感じています。個人の価値観や思想まで、他人がコントロールすることはできません。実際に口にしてしまった議員さんのデリカシーのなさは、本当にあきれるばかりですが、問題の根本はそこではないと感じています。

 「結婚しないのか」「産まないのか」と言われて、それがひどく心に引っかかるのは、その言葉を受け止める側にも無意識のうちに何らかの「後ろめたさ」を感じているからではないでしょうか。
 もし、堂々と「結婚しない人生」「産まない人生」を選択しているのだとしたら、あんなデリカシーのないヤジも「これが私の生き方ですけど、何か?」って鼻で笑ってやれると思うのです。
 何となく、「結婚した方がいいよね~」「産んだ方がいいよね~」と、自分で自分に外野からの価値観をインストールしてしまっているから、その「劣等感」に触れられると過剰に反応してしまうということが起きるような気がします。
 
 

 もちろん、デリカシーのない発言に対して擁護するつもりはさらさらありません。あの程度の品格が、日本の代表なんだと、自分たちの人選を反省するしかないと思います。
 言っていいことと悪いことの区別もつかない、自分の言葉で相手がどのくらい傷つくかを想像することができない人というのは、世の中にたくさんいらっしゃいます。その人たちの口を全部塞いでしまうことはできません。
 女性が「嫌な思い」をしないためには、まず女性自身の考え方や捉え方を変えていく方が前向きなのではないでしょうか。「結婚したいのにできない」じゃなくて「今はまだ素敵なお相手とご縁がつながってないだけ」。「産めない」のではなくて「産まない」。
 

 個人的に、デリカシーのないおやじにヤジを飛ばす暇があったら、すべての女性が「これが私の生き方!」と胸を張って自分の人生を歩むお手伝いをしていきたいな~と思う今日この頃です。