がんは手術しなくても消えるのか?

 ここのところ、川島なお美さんと北斗晶さんの報道を受けてがんについての話題がネットでも多く見受けられます。中には、「がんは切ってはいけない」「抗がん剤は毒でしかない」「体を温めればがんは治る」といった極論も多く、医者の中では比較的自然療法派の私でさえ、「それは違うでしょう」といいたくなる記事も多く目につきます。
 まず最初に言っておきたいのは、西洋医学的に「手術・化学療法・放射線療法」ががんの3大療法であることは基本中の基本で、これらの治療を今現在受けている方が、ネット上の自然療法派の方の意見を見てご自身が選択なさった治療法に対して否定的な考えを持つことだけはしないでいただきたい、ということです。不安な気持ちで治療を受ければ、治療効果も下がってしまいます。

 極論の中には、病院が儲けるために必要ない人にまで抗がん剤を使っている、という記事もありますが、高いお薬を使ったからと言って病院が儲かるわけではありません。お薬の値段は保険点数で決まっていますから、患者様の負担が大きい薬は仕入れ値も高いのです。
 もちろん、世の中には良心的な医師ばかりではないことは分かっていますし、自分でも「もうこの医師にはかかりたくない」という医師に遭遇したこともありますから、医師が全員絶対に患者様のためだけを思って患者様にとってのベストを考えて治療計画を立てているとは言い切れないかもしれません。でも、多くの医師は少なくとも「スタンダードな治療」を提案しているはずです。各病気には、基本的な治療方針について「ガイドライン」というものがありますから、通常はそれにのっとって治療を行っていくのです。本当は必要ないかもしれない治療が行われている可能性については、また別の機会にお話しできたらと思います。

 がんが見つかったら、まず最初に手術を勧められることがほとんどです。これは、がんだと思われる部分が本当に「がん」なのかを確定する方法は、唯一その部分を切り取ってきて顕微鏡で組織を見てみることだからです。手術をしなくても、がんかどうかの確定まではできるケースもあります。例えば、子宮頸がんは子宮の出口にできるがんなので、お腹をあけなくても膣の方から病気がある部分を切り取ることができます。通常は「ここが一番怪しい」という部分を少しだけ切り取る「組織診」で、がんなのかどうかを診断することができます。一方、卵巣がんは腫れている卵巣そのものをとるまではそれが「がん」なのかおそらくがんの手前の「境界悪性」なのか「がんに見えたけど良性」なのかを判別することはできません。
 手術を行う目的は、がんの種類と進行具合によって多少異なりますが、多くの場合は、例え術前に「がん」だと確定できても、それがどの範囲まで広がっているのか、どういう特性を持った組織なのかを見るために、そして、できれば悪い部分を全部取り除いてしまうために行うのです。

 がんは手術なんてしなくても消えるものだ、という意見もあるかと思います。これに対して私の個人的な意見は、「消える人もいれば消せない人もいる」ということです。がんの原因となる悪習慣をすべて改め、思考も改善し、なぜこのタイミングでがんになったのかをきちんと理解できた人は、もしかしたら手術をしなくてもがんが消えてくれるかもしれません。でも、それができる人はごくわずかだと感じています。例え生活習慣は変えられても、思考のパターンがそのままだったり、がんになることで学ぶべきことが受け取り切れないケースが多いように見受けられるのです。そのような人が、がんを「切らずに治す」とがんばって手術で切り取りきれるレベルだったものをむやみに進行させてしまうことはとても危険だと思います。
 時々、「子宮頸がんのステージ3が様子を見ているうちに消えた」という体験談が出てきます。問診でそのように書いてくださる方もいらっしゃいます。よくよくお話を伺うと、「ステージ3」ではなくて、子宮頸がんの細胞診の結果が「クラス3」だったのが正常になったということのようです。おそらく「子宮頸がんが勝手に治った」という体験談の大部分は、この「クラス3」つまり異形成という状態から正常化したというものなのだと思われます。異形成はほっておいても正常化することが多いわけですから、「がんが自然に治る」のと勘違いしてしまっては危険です。

 がんになったら絶対に手術しなければいけないというわけではありません。がんのある場所、進行具合、ご本人の年齢や全身状態によっては、手術をすること自体が生命予後を悪くするということもありうるでしょう。
 一方で、子宮頸がんの初期など、早く見つけて適切な範囲をきちんと手術で取り除けば、それ以上の治療は全く必要なく完治できるものもあるということを理解しておく必要もあります。
 手術を受けないデメリットについてきちんと理解して、手術をしないという選択をすることは間違いではありません。最も大事なことは、手術をしないという選択をした人が、手術をするという選択をした人に対してそれを否定してはいけないということだと思います。