日々の雑記

 

「色眼鏡」のかけ替え方

  私たちは起きた出来事を「自分の脳」というフィルターを通して見ています。よく、偏った見方をすることを「色眼鏡をかける」と言いますよね?実は、脳のフィルターを通すということは、常に何らかの「色眼鏡」をかけているようなものなのです。見る相手やシチュエーションによって、かけている眼鏡が異なったりします。
 もしあなたが、今「どうにかしたい」と思っている状況や人物がいるのであれば、まずはその状況や人物に対面している時に「あなたがかけている眼鏡」を取り換えてみることをお勧めします。

 具体的なやり方をお伝えしますね。
 まずは「どうにかしたい」と思っている状況を具体的に設定します。例えば、「子どもの勉強を見ている時」とか「○○さんと仕事をしている時」などです。そして、その時に思い浮かんでくる「印象」や「感情」を書き出します。
 子どもを見ながら「あ~この子はなんて物分かりが悪いんだろう」「もっと自主的にできないのかしら」など、「いつも○○なんだから~」と思ってしまうことがありますよね?それをすべて書き出していくのです。

 次に、その状況の時に自分がかけている「眼鏡」をイメージします。フレームの素材・色・大きさ・触った感じ・レンズの色や形など、できるだけ細部まで具体的に思い浮かべてください。飾り用のチェーンはあるのか、ラインストーンはついているのか、奇抜なデザインなのかシンプルなのか、など思いつく限り具体的にイメージするのがポイントです。

 次に、「どうにかしたい」と思っていた状況が「自分にとって理想の状況」になった時をイメージします。その時に思い浮かんでくる印象や感情を再度書き出しましょう。仕事の場面であれば「私が言う前にてきぱき仕事を済ませてくれている」「一度言ったことはしっかり守ってくれる」「お互いがフォローし合いながらスムーズに作業が進む」といった感じで、できるだけ具体的に挙げていきます。
 そうしたら、その状況の時にかけている「眼鏡」を先ほどと同じように細部までイメージします。

 最後に、最初に思い浮かべた眼鏡を外して、眼鏡ケースにしまって引き出しにしまってください。そして、後に思い浮かべた眼鏡をかけます。
 これでおしまいです。簡単でしょう?
 あなたはずっと「古い色眼鏡」で世界を見続けますか?それとも、「見たい世界を見る眼鏡」を手に入れますか?

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 カウンセリングをご希望の方は、メールかお電話でお問い合わせくださいませ。
   お問い合わせ先:045-440-5577(予約専用電話) info@vivalita.com

日付:2016年11月24日  カテゴリー:日々の雑記

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不要な正義感を捨てたら他人だけでなく自分にも優しくなれる

 今週は2人の娘が順番に病児保育のお世話になっているので、私的にはちょっとハードな毎日でした。 先週末から次女が口唇ヘルペスを再発して、熱まで出たんですよね。受診先では「お熱が下がったら登園していいですよ~」と言われたので、解熱して丸一日たってから登園させたんですが、保育園では「口の中のできものが完全に消えるまではダメです」と言われてしまい、その日は連れて帰るしかありませんでした。でも、病児保育の当日予約は入れず、夫も私も仕事が休めないので仕方なく私の診療に次女を同席させました。実家も遠く、スタッフにも余裕がないので私の膝の上に乗せて診療するしかなかったんですよね。

 診療の現場に子どもを連れて行くなんて、なんて非常識なんだ!という方もいらっしゃるでしょう。患者様の中にも、快く思わない方もいらっしゃると思います。こちらの事情を知らなければ、白い目で見る方の方が多いかもしれない状態だったと思います。
 でも、私の立場では、これが最大の「できること」だったんですよね。子育てをしてみて初めて、「本当はこうした方がいいと分かっていてもそれができない」という状況が多々発生しうることを実感しています。昔の私なら、その状況を「自分の正義」に当てはめて責めていたでしょう。でも、子どもたちに「その正義感は不要なもの!」と教わりました。

 例えば、電車の中で子どもが靴を履いたまま座席に上ってしまうのはよく見かける光景です。以前の私なら、「おとなしく座らせるか靴を脱がせるかすればいいのに」と、そばにいる母親を責めていたでしょう。でも、自分もその立場に立ってみて、2歳や3歳の子どもをおとなしく座らせるなんて無理だということも、お気に入りの靴を脱がせただけで大暴れのギャン泣きが始まることも理解しました。靴も脱がせられないし、座席に立ち上がることも止められません。持ち歩ているおしりふきで靴の底をきれいに拭いて、子どもの好きなようにさせるしかないわけです。
 子どもを持ってみて、このような状況の時、自分の服が汚れるのが嫌だったらそっとのそ場を離れたらいいし、そんなに気にならないのなら「お外が見えて楽しいわね」といった「受け入れ」の言葉かけをしたらいいのだということが分かりました。子育ては自分育てとは、本当によく言ったものです。

 子育ての中で、こういった「自分の基準に当てはめた正義感」がいかに不要なものであるか、そして、それを振りかざして他人を責めることが、結果として自分の首を絞めることになるのだということを知りました。
 逆に、「そんないらない正義感は脱ぎ捨てちゃえ~」っと「ジャッジ」をやめると、他人にだけでなく自分にも優しくなれるんですよね。不要な正義感で「こうすべきでしょ!」「こうするのが当たり前でしょ!」といつも人を責めている人は、同じくらい自分にダメだしをしてしまっているんです。
 あなたは、まだ「いらない正義感」を振りかざして自分を責め続けますか?それとも、いらないもをのさっさと手放して、人にも自分にも優しく生きていきたいですか?

 

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日付:2016年10月8日  カテゴリー:日々の雑記

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月経血カップの使い方

布ナプキンより衛生的で使いやすい、月経血カップの使い方を解説しています。

ナプキンでかぶれやすい人には特におすすめです。

使い捨てナプキンをやめると、環境にも優しいですしね。

https://youtu.be/ZYg2gFz2o9c

日付:2016年4月26日  カテゴリー:日々の雑記

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病気を引き起こす背景と病気をやめるための3つのポイント

 この2日間、家に閉じこもっています。なぜなら、まさかのインフルエンザにかかってしまったからです。予約変更などでご迷惑をおかけしている患者様には、本当に申し訳ありません。
 月曜日に腰痛が悪化して、頭痛もあったので、「風邪ひいたかな?」と思っていたのですが、火曜日の夜から微熱が出て、その後熱が上がらず・・・インフルエンザにしては熱が低いのでまさかねと思いながらも、念のため診療に入る前に調べておこうと思って検査したらA型が陽性でした。すでに、解熱して関節の痛みなどの症状も消えているので、かなり軽い方なんだと思いますが、一応週末まで診療に出られず。非常勤の先生方とご予約の患者様にご迷惑をおかけすることになってしまいました。

 ちょうど、火曜日の夜に「病気をやめる・やめさせる研究会」で病気を引き起こす背景にあるものと、病気をやめるための3つのポイントを学んできたところでした。この3つのポイントについては、来月開催のワークショップで詳しくお伝えしようと考えていますが、ちょうどいい機会なので「なぜ私はインフルエンザという状態を引き起こしたのか」について考えてみました。

 インフルエンザになった原因を医学的に分析したら、過労と睡眠不足による免疫力の低下です。実はこの2週間、次女の結膜炎、長女の感染性胃腸炎、そして夫が次女の結膜炎をもらってしまったことにより、看病と家事の負担が倍増していまして、毎日合計3時間程度しか眠れない上に途中で起きる娘の相手をするといった状態が続いていました。
 物理的な負担が大きくなっていた、ということも病気を引き起こす原因にはなるのですが、最も大きな要因はその大変な状態を「強いられている」と感じていたことです。本当は、夫と負担を分担したいところなのに、夫も不調が続いているので頼ることができず、自分の健康管理が「できない」という気持ちになっていたんですね。実際は、睡眠時間を確保したり、体が冷えないようにしたりといった自己管理を自ら「怠った」わけです。インフルエンザになってみて、自分が受け身の状態から、自ら健康管理をする立場を取り戻すことができました。

 さらに、なぜ風邪程度ではなく「インフルエンザ」なのか・・・それは、私が少々の不調は我慢して頑張れてしまうからです。今回のインフルエンザも、休みたいような症状はほとんどなく、検査で陽性が出なければ仕事を休んだり家事をさぼったりはできなかったでしょう。
 インフルエンザなら、例え症状がなくても発症から5日間は休まなければいけません。体は元気な状態で自由な時間ができるという、非常にありがたい環境をプレゼントしてもらったのだと思います。でも本当は、「インフルエンザ」という表現をとらなくても、仕事の量を調整することで同じ状態を整えることは可能なんですよね。今回は、無理に無理を重ねようとする私に、体が強制終了ボタンを押してくれたのだと痛感しました。

 そして、病気をやめるために必要な重要なポイントの一つ「隠されたコミュニケーションを明らかにする」という点については、私のインフルエンザという表現は、夫に対する「私も疲れがたまってるの!少しは労わって!」というアピールであることに気付きました。
 これも、ただの風邪程度では夫に私の弱り具合が伝わらないので、インフルエンザという表現をわざわざ選んだのだと思います。さらに、子どもたちにうつさないために、保育園の送り迎えや子どもたちの相手を夫にお願いすることができるわけです。

 このように、病気を生み出す背景には、病気であることによるメリットが隠れていたり、病気を引き起こす原因を受け身でとらえているというパターンが隠れていたりします。
 病気を自分で生み出していることに気付くと、「自分でやめることもできる」ことに気付いてきます。病気をやめたいと思ったら、上記の3つのポイントをクリアにしていくとよいのです。病気をやめるための3つのポイントについては、今後のワークショップで具体的にお伝えしていきます。ワークショップの詳細は、後日お知らせしますので楽しみに待っていてくださいね。

日付:2016年2月20日  カテゴリー:日々の雑記

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子どものことを愛しているのに一緒にいると苦痛なワケ

  以前の記事で、育児の大変さを苦痛に感じない人と、私のようにいくら笑顔を向けられても大変さが帳消しにはならないと感じる人がいると書きましたが、私自身「なぜ子どもたちと一緒にいるとこんなに苦痛なんだろう。自分は子どもを愛せないのだろうか」と悩んでいました。
 「あること」に気付くまでは、子どもと一緒にいる時間が苦痛=子どものことを愛していない、と勘違いしていたんですね。さらに、母親なのに子どもを愛せないなんてダメだ、と自分を責めていたこともあります。
 
 それが、あるセミナーで「価値観の洗い出し」のワークをした時に、はっと気づいたのです。「私は子どもを愛していないわけではない」ということに。
 そのセミナーは、子育てとは全く関係のない、女性のリーダーシップについてのセミナーでした。自分の価値観を客観視してみましょう、ということで、自分が「心地よい」と思うことは何か、「不快」に感じることは何かを表にしていきました。
 私が「心地よい」という項目に書き出したのはこんな内容です。「自由・1人・静けさ・整っている・スマート・スピーディー・クレバー・予定通り進む・コントロールできる」。
 一方、「不快」な項目に書き出したのはこんな内容です。「雑多・騒がしい・散らかっている・もたもたする・話が通じない・コントロールできない・不測のことが起きる・外部からの押しつけ・前に進まない」。
 自分でこれらを書き出しながら笑ってしまいました。
 もうお気づきでしょうか?「不快」の項目にある状況を毎日作り出してくれている存在、それが子どもたちだったのです。

 快か不快かというのは、価値観、もっと言えば「好み」の問題です。なぜそれが不快なのかと言われても、嫌いなものは嫌いだからどうしようもないのです。それを好きになろうと無理をする必要はありません。
 私が子どもたちと一緒に過ごして「不快」だと感じていたのは、子どもたちという存在そのものに対してではなく、子どもたちが産みだしている状況に対してだったんですね。だから、子どもたちという存在は愛しているのにも関わらず、一緒にいると苦しくなっていたのです。

 そのことに気付いて、「ああ、自分の中にもちゃんと愛情はある」と実感したら、同じ苦痛な状況になっても自分を責めなくてよくなりました。と同時に、起きている事象と子どもたちという存在を分けてとらえることができるようになったので、一時的に何か不快なことが展開されても、子どもたちの存在そのものに嫌気がさすということがなくなりました。
 さらに、そのセミナーで講師の方が「この状況でちゃんと子育てしているって、すごいことですよね」と言ってくださいました。それまで、「子育てに向ていない自分が子どもを育てていること」に対して何となく後ろめたさがあったのですが、その一言で全く逆だと感じるようになったのです。「子育てに向いていないのに子どもを育ててるなんてすごい!」と。

 子育てを苦痛だと感じた時は、何が苦痛なのかを細かく洗い出してみるといいかもしれません。自分が不快に思っていることは「子どもという存在」そのものではない、ということにきっと気づけると思います。

日付:2015年11月20日  カテゴリー:日々の雑記

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子育ての大変さをコントロールしてみる

  この週末は、シークレット・スライト・オブ・ランゲージの3~4回目を受講してきました。 
 隔週で土日を確保するのは、ミュージカルの練習に通っていた時と同じように色々「段取り」が必要だったりするんですが、それでも受ける価値が大いにあると感じたセミナーなんですよね。

 今回からは、ペアを組んで具体的なセッションの練習をし、それをビデオに撮ってみんなで見ながら「ここでこんな介入ができたよね」「この内容をもっと掘り下げた方がいいよね」といったフィードバックをしていきます。
 ペアで練習していくわけですが、今自分が抱えている悩みをカウンセリングしてもらうようなものなので、勉強しながら自分もクライアントとして治療していただいているような感じです。
 
 昨日の練習で私が取り上げたテーマが「人間らしく食事をしたい」というものでした。
 冒頭で私が「人間らしく」といった時点で講師の先生から突っ込みが・・・「人間らしく食事をしたい」ということは、すなわち「人間らしくない食事を強いられている」つまり、自分のコントロールのできないところで強制的にその状態を「押し付けられている」という信じ込みがあるわけです。食事に限らず、子育てにおいて私は「自分でコントロールできない」ということにストレスを感じていました。そして、自分の「望まない生活」を強いられていると感じていたんです。それを象徴する言葉が、子供たちと丸一に過ごした時の「奴隷生活」です。

 この「自分ではどうしようもない」という受け身の姿勢を専門的に分析すると「他者原因」で「反映分析型」といいます。要するに、困った状況を作り出している原因を「自分以外(私の場合は子供たちや夫)」に見出したり、困った状況に対して「自分から働きかけることができない」と判断している状態です。
 そのことを指摘されたとき、正直「なんでだろう?」とかなり違和感を感じました。なぜなら、育児に関わるとき以外は私はどちらかというと原因を自分に見出して、自己責任としてその問題に対応したり、どうすれば解決できるかに焦点を当てて自分が主体的に働きかけることができるからです。でも、育児にかかわる部分だけ、「私の力が及ばない」という信じ込みが必要だったんですね。

 なぜ、育児に関して「自分原因」にすることに抵抗があったのか、それは「自分原因」にすると「育児の大変さを周りに理解してもらえないままになる」というデメリットがあったからです。育児が大変だと感じるのは「私の問題」で、本当は育児なんて「全然大変じゃないんだよ」ということになると、ものすご~く不都合があったのです。
 ちょうど、育児の大変さを訴えたら「好きで生んだんでしょ?」と言われて追いつめられるのと似た心情だと思います。子供がほしいと思って自分が望んで生んだ、ということは間違いありませ。でも、「今の生活を望んだわけではない」ということが理解されないから、「好きで生んだんでしょ」と言われるとショックを受けるわけです。

 育児は大変さがあるのが当たり前なんです。それをどの程度「苦痛だ」と感じるかに個人差が大きくて、あまり苦痛でないと感じる人は「大変さもあるけど楽しい」と言いますし、苦痛が大きいと感じる人は「子供の笑顔で帳消しになんかならない」と言うわけです。ちなみに私は後者です。なぜ後者になるのかは、またの機会にお話ししましょうか。
 じゃあ、なぜ私が育児の大変さを「わかってほしい」と感じていたのか、それは私がどれだけ育児を頑張ってるのかを認めてほしいという気持ちが背景にあったのだと思います。夫に「わかってほしい」と思っていたのと同じように、周りに「わかってほしい」と思うのは、私が自分で自分をほめてあげられていなかったからなんですね。
 そのことに気付いて、私ってこんなに子供のこと思ってるじゃない。子供のためにも頑張ってるじゃない。もう、十分だよと思ったら、涙が止まらなくなりました。その状態で冷蔵庫の前で泣き崩れていたら、次女が「だいじょ~ぶ?」と言いながら頭をなでに来てくれました。次女は私に似てとても勘が鋭いのです。

 食事の時間が、2人の娘の相手で戦争状態なのは変わりません。でも、それを「人間らしくない食事」ではなく「3年限定の実に母親らしい食事」に書き換えてみました。ついでに、イラッときたり無力感に襲われたときには、とにかくまず「ま、いっか」とつぶやくようにしてみたんです。
 たったそれだけですが、数日前までの「ずっと怒りの感情を抱えながら食べ物をただ口に押し込む」という状態から、「自分が食べたいものを「食べる」」という状態に変わりました。
 さらに、土曜日の講座からダッシュで保育園にお迎えに行っている途中で「お熱です」の電話を受けて、猛ダッシュで保育園に駆け付け、食べられないであろう長女のためにアイスクリームなどを調達して、まだ回復しきっていないために自宅でお留守番していた次女を夫から受け取り、次女抱っこ&長女おんぶの状態で仕事に行く夫を見送り、「ごめん、何も準備できなかった」の一言で済まされた夕食の支度を次女の腹具合と長女の「頭痛い~」の訴えを気にしながら大急ぎで済ませ、とりあえず次女を食べさせて、長女を清拭して寝かせ、次女をお風呂に入れてしばらく2人の時間を確保し、長女を起こさないように次女を寝かせつけ、翌日不在の「下準備」をし・・・という状況で「ま、いっか」を呟いてみました。普通なら「何で私1人でこんなにやらなきゃいけないのよ~」となるんでしょうが、「ま、こういう日もあるよね」で済まされたので不思議です。

 以前、「子育ては『楽しもう』としなくていい」という記事を書いた時、ものすごく共感しましたという感想を多数いただいたのですが、「楽しもう」とするってことは育児が「楽しくない」という前提があるんですよね。だから、育児は楽しもうとしなくていいんです。
 育児は大変なんだって、そういうものなのだと思っていいのです。その「大変さ」を自分にとってどのくらい負担になるものとしてランク付けするか、「ま、いっか」程度にランク付けするか、それが「自分次第」ということなのだと今回のセッションで発見しました。

日付:2015年10月26日  カテゴリー:日々の雑記

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子どもの問題は「親の意識の鏡」

  先日、発達障害や情緒障害のお子さんをもつ親向けのセミナーを受けてきました。私自身は「親」としてではなく、カウンセラーとしてこの分野も薬を使わずに治療を行っていきたいと思い、勉強のために受講したのですが、カウンセラーとしてよりも一人の母親として大変勉強になりました。
 セミナーの内容の詳細はご紹介できないのですが、結論だけお伝えすると、発達障害に限らず子どもの問題行動や病気は「親の意識の鏡」であるということです。このようにお伝えすると、お子さんの何らかの問題で悩んでいる方は、「何でもかんでも親が悪いって言うの?」「すでにこの子のことでこんなに悩んだり苦しんだりしているのにさらに追い打ちをかけるような責め方をしないで」と思われるかもしれません。私自身も、長女が喘息の疑いと診断された時、真っ先に自分を責めました。喘息は母親の過干渉が原因となりうることを知っていたからです。そして、代替医療のセミナーに参加した時に「喘息は母親がうるさすぎるとなるのよ」と言われて大打撃を受けましたから。実際は、長女の症状の原因は私ではなく、もっと医学の手が届かないものが原因となっていたので、それを解消したらすっかり症状はでなくなりました。

 子どもの問題が親の意識の鏡=親が悪いと責めているわけではありません。なので安心してください。
 ただ、子どもの症状や行動を「子どもだけ」を見て解決しようとしても難しいということに気づかなければ、例え今出ている症状が治まったとしてもまた新たな問題が出てくるのです。逆に言えば、親の意識さえ変えれば、子どもはよくなるということですから、「親に非があるのだ」と受け止めるのではなく、「解決のカギは自分が握っている」と捉えていただけたらなと思います。

 私自身は、1年くらい前から「上の子かわいくない症候群」で悩んでいました。スピリチュアルなセッションを受けたり、子育てアドバイスの本を読んだり、自分に笑顔を取り戻すために大好きなミュージカルの舞台に立ったりしましたが、長女に対する私の気持ちは変わらず、また長女の問題行動はどんどんエスカレートしているように見受けられました。
 特にここ数週間は、本気で長女の今後の育て方について専門家の意見を求めた方がいいのではないかと思っていたくらいなのですが・・・何があったかといいますと、6月から習い始めたバレエ教室を一時お休みしなければいけなくなったんです。表向きは「発表会までの間通常のレッスンをほとんどしなくなるのでいったん休止しませんか?(娘は発表会に申し込んでいません)」と言われたのですが、娘のあまりのお行儀の悪さに先生もお手上げ状態になったのだと思われます。1時間のレッスンのうち、ちゃんと踊るのは15分程度で、後は走り回ったり私に泣きついたリバーで鉄棒ごっこをしたり・・・やりたい放題なわけです。先生や私が注意しても聞かず、「そんなに嫌ならバレエ止めて帰ろう」と言うと「やるの~」と言ってごねるという始末。私も、さすがに申し訳なくなって、やめることを提案しようかと悩んでいた矢先の先生からのお話しでした。

 レッスンのたびに娘に「バレエ続ける?」と聞いていたのですが、いつも「やる!」と答えていたんですよね。4歳の子の言うことなのでどこまで鵜呑みにしてよいのかわかりませんが、少なくとも本人がやると言っている間は続けさせようと思っていました。でもその日は、あっさり「もうやめる」と言うので、そのままひとまずお休みすることにしたんです。
 先生の方からこういったことを提案されたことは、親として少なからずショックで、そのせいでしばらく悶々としていました。なぜこんなに自分がモヤモヤするのかを色々考えてみたら、「自分からやると言い出したことを継続できなかった」「教室から問題児扱いされた」「今後小学校に上がってもきっと度々先生から呼び出されるような子になるだろう」といった思いが湧き上がってきました。娘が例え教室をウロウロして注意されようが、学校に行かないと言ってごねようが、すべて受け入れて好きにさせようと思っていましたが、いざそうなるとやっぱり自分の中にある「こうすべき」「こうあるべき」という規範意識が対抗しようとするのだなと感じたのです。

 結局、バレエ教室をお休みすることにして、代わりに同じ時間帯に保育園でやっている体操教室を受けさせてみたら、なんと1時間の教室をほぼきちんと受けて先生のいうことも聞いて、おまけに周りの男の子たちに負けない運動神経を発揮していました。バレエは本人が言っているほど好きではなかったんだな、と気づいたわけですが、お休みすると決めた後も毎週のように「またバレエに行きたい」と本人は言うのです。私も4歳の時にバレエの魅力にはまって、5歳から習い始めたのでわかりますが、好きだったらあんなレッスン態度にはなりません。娘の「バレエをやりたい」の背景にある本当の意図は何なのか探ってみたら「早くお迎えに来てほしい」でした。
 バレエ教室に行くために、いつもは18時お迎えのところを15時にお迎えに行っていたんですよね。しかも、長女だけ早くお迎えで次女はバレエ教室が終わるまで保育園です。長女はその「早お迎え」が欲しかったんだと思います。

 バレエ教室の件は、長女の問題行動のごく一部なわけですが、こういった行動を長女がとる原因を「私の中に」探してみたところ、1つは自分の中にある「規範意識」を長女が壊してくれているのだということに気づきました。そして、もう1つ大きな原因がありました。それは、私自身が長女に「問題児」になってほしいと無意識のうちに想っていたのです。
 もちろん潜在意識でですから、私が顕在意識で長女を問題児扱いしているわけではありません。でも、潜在意識は長女に問題を起こしてほしいと願っていたのです。だから、その願いは次々に叶えられていたんですね。

 なぜ私が長女を「問題児扱い」したがっていたのか・・・それは、夫へのメッセージでした。
 一般的に、子どもを病気にしたり問題児にしたりする母親の意識の背景として、「手のかかる子にすることで自分の『母親としての役割』をより強めたい」「自分が『母親として』必要とされる状況を生みだしたい」という意識が働くことが多いのですが、私自身は娘に必要とされなくてもすでにやりたいことがしっかりあって自分の存在意義も娘とは切り離されているので、自分の価値証明と娘の存在はリンクしません。なので、このケースには当てはまりません。
 私の場合は、長女が問題行動を起こせば、少しは夫が長女の育児
の大変さを分かってくれるだろうと思っていたのです。なぜそんなアピールが必要になったのか、それは、夫の口癖が「彩ちゃんは本当に手のかからない育てやすい子だね」だったからです。1時間おきの夜泣きで憔悴しきっていたことや、ミルク拒否のために働きながら完全母乳で頑張るしかなかったことや、離乳食をほとんど食べてくれずに苦労したことなどは夫からは見えておらず、「私がどれだけ大変な思いをしてきたかあんたはちっともわかってないでしょ~!」ということが言いたかったわけです。育児の「いいとこどり」をして、いつものんきに娘たちをただただ「かわいいね~」と言っている夫のことがうらやましくもあり、腹立たしくもあったんですね。
 今の状態で長女が問題を起こせば、さすがに夫にも「見える」形となるので、私は一生懸命長女を問題児に仕立て上げようとしていたようです。

 私の中の「原因」が分かれば、対処法は簡単です。長女が問題児になる必要がなくなればよいわけですから、夫に私の感じていることを伝えればよいわけです。ついでに、夫に私の苦労を「認めて欲しい」と思ってしまうのは、私が自分で自分がやってきたことを認めたり褒めたりしてあげていないせいなので、自分で自分をしっかり褒めました。
 他人から褒めて欲しいと思っている時は、自分が自分を認めてあげていないことが多いんです。内側からの「承認」がないから、外野からそれを欲しがってしまうんですね。自分で自分をしっかり褒めたあげたら、夫が私の苦労を知ろうが知るまいが、それはどうでもよくなってきました。縁の下の力持ちのおかげでニコニコしていられるあなたは幸せモンだわね~、と思えるようになるわけです。まあ、それでも、この一連の関連性は一度は話しておきたいんですけれどね。

日付:2015年10月22日  カテゴリー:日々の雑記

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マンモグラフィーで乳がんのリスクは上がるのか?

 以前からマンモグラフィーの被ばく線量に関してはご質問を頂くこともありましたが、最近やたらと「マンモグラフィーによる被ばくが乳がんの原因になる」といった記事が目につくようになってきました。
 私自身は婦人科の専門ですから、婦人科の検診として何の検診がどの程度有効であるかは、医学的知識としても、そしていらっしゃる患者様を拝見して感じることからも、確信をもってご説明できます。
 マンモグラフィーに関しては乳腺外科の専門になりますので、私自身がマンモグラフィーの検査を行ったりその結果をご説明することはありません。なので、マンモグラフィーの被ばく線量については、一般的な医学的考察からそのリスクを考えることしかできませんが、結論から言うとマンモグラフィーの被ばく線量はがんの原因になるほど高いものではありません。

 マンモグラフィーの有効性とリスクについてはこちらの記事http://www.jbcsftguideline.jp/category/cq/index/cqid/500001がよくまとまっていますので、こ難しい説明や「エビデンス」がお好きな方は、この解説を参考にしていただくとよいと思います。
 マンモグラフィーの被ばく線量が他のレントゲン検査に比べて高いように思われているようですが、実際は胸のレントゲン検査による被ばく線量をさほど変わりません。なぜ被ばく線量が下げられるのかというと、マンモグラフィーでは強く乳房を圧迫することによって、できるだけ乳腺を薄くして低い線量で済むようにしているからです。

 実際、マンモグラフィーによる被ばく線量がどのくらいかを数値に表すと、実効線量が0.05~0.15mSvになります。人が普通に日常生活を送っていても、自然界からある程度の放射線を浴びますが、それが年間約2.4mSvなのです。つまり、例え1年間に10回マンモグラフィーをとっても、自然に浴びる放射線量より少ないということです。ちなみに、飛行機に乗ると被ばく線量は上がるのですが、東京~サンフランシスコを飛行機で移動した場合の自然被ばく線量は約0.038mSvと言われています。もし、マンモグラフィーで乳がんになるのだとしたら、国際線の客室乗務員の方の乳がんリスクはどうなるでしょう?

 ではマンモグラフィーは全く乳がんのリスクにならないのかというと、リスクが「ゼロ」とは言えません。それは、被爆による「確定的影響」と「確率的影響」というものがあるからです。確定的影響は、ある一定の線量を超えるとがんのリスクが高くなりますよ、というものです。これは組織(臓器)によってどのくらいの線量を超えると危険なのかが決まっていまして、マンモグラフィーの場合、例え毎年マンモグラフィーをとっても乳腺の「ここが危険」というラインは超えません。つまり確定的影響はないと言えます。
 一方、確率的影響はどのレベルでリスクが上がるかといった線引きがありません。もしかしたら、たった1回のマンモグラフィーが乳がんを発生しさせてしまうかもしれないというものです。この確率は「ゼロではない」としか言いようがありません。例えば、乳がんになりやすい遺伝子を持った肥満で乳製品が大好きで妊娠・出産経験がない女性がマンモグラフィーを受けた後に乳がんを発症した場合、もしかしたらマンモグラフィーのせいで乳がんができたのかもしれないけれどその他のリスク要因もあるから断言はできない、ということになります。

 では、全員がマンモグラフィーを受けた方がいいのかというとそうではありません。少なくとも、30歳以下の人はマンモグラフィーを受けるメリットがそれほど高くはない又はデメリットが上回る可能性があるので、乳がん検診を受ける場合は超音波検査を受けた方がよいといえます。30代前半についても、マンモグラフィーより超音波検査の方がよいでしょう。
 逆に40歳以上の方については、マンモグラフィーによる検診が有効といえます。ただし、乳腺の密度が高い方はマンモグラフィーだけでは見落としのリスクがありますので、超音波検査との併用検診が勧められます。マンモグラフィーと超音波検査は、お互いの「発見しにくい異常」を補い合える特性がありますので、一緒に受けることで精度は上がります。

 検診を受けるデメリットの1つとして、過剰に異常をひっかけてしまうというものがあります。確かに、検診で「もしかしたら乳がんかもしれないから精密検査を受けて下さい」と言われて、細胞診などの詳しい検査を受けたらなんでもなかった、というケースはしばしば見受けられます。
 検診は、できるだけ見落とさないように小さな異常も「疑いあり」に入れるため、このようなことが起こりうるのです。本当に乳がんの人だけをピックアップするように異常と判定する境界線を下げると、見落としが増えるということになります。検診の目的を考えると、ある程度過剰に異常が出てしまうのはやむを得ない部分があります。
 毎年検診を受けていれば、前の検査結果との比較ができますから、この過剰に異常を指摘されるということが少なくはなってきます。
 
 乳がん検診も子宮がん検診も、受けるデメリットより受けないデメリットが大きいことは、とても進行したがんを拝見するたびに痛感します。検診は、適切な方法で受ければやはり有効性の方が高いのです。
 ただし、検診を受けるよりもっと大切なことがあります。それは、「がんにならない習慣」を身に着けることです。がんになる人は、必ずその原因となる行動・食生活・思考のパターンがあります。それを変えずして、がんを恐れて不安な中で検診を受けても、がんを防ぐことはできないのです。



日付:2015年10月3日  カテゴリー:日々の雑記

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がんは手術しなくても消えるのか?

 ここのところ、川島なお美さんと北斗晶さんの報道を受けてがんについての話題がネットでも多く見受けられます。中には、「がんは切ってはいけない」「抗がん剤は毒でしかない」「体を温めればがんは治る」といった極論も多く、医者の中では比較的自然療法派の私でさえ、「それは違うでしょう」といいたくなる記事も多く目につきます。
 まず最初に言っておきたいのは、西洋医学的に「手術・化学療法・放射線療法」ががんの3大療法であることは基本中の基本で、これらの治療を今現在受けている方が、ネット上の自然療法派の方の意見を見てご自身が選択なさった治療法に対して否定的な考えを持つことだけはしないでいただきたい、ということです。不安な気持ちで治療を受ければ、治療効果も下がってしまいます。

 極論の中には、病院が儲けるために必要ない人にまで抗がん剤を使っている、という記事もありますが、高いお薬を使ったからと言って病院が儲かるわけではありません。お薬の値段は保険点数で決まっていますから、患者様の負担が大きい薬は仕入れ値も高いのです。
 もちろん、世の中には良心的な医師ばかりではないことは分かっていますし、自分でも「もうこの医師にはかかりたくない」という医師に遭遇したこともありますから、医師が全員絶対に患者様のためだけを思って患者様にとってのベストを考えて治療計画を立てているとは言い切れないかもしれません。でも、多くの医師は少なくとも「スタンダードな治療」を提案しているはずです。各病気には、基本的な治療方針について「ガイドライン」というものがありますから、通常はそれにのっとって治療を行っていくのです。本当は必要ないかもしれない治療が行われている可能性については、また別の機会にお話しできたらと思います。

 がんが見つかったら、まず最初に手術を勧められることがほとんどです。これは、がんだと思われる部分が本当に「がん」なのかを確定する方法は、唯一その部分を切り取ってきて顕微鏡で組織を見てみることだからです。手術をしなくても、がんかどうかの確定まではできるケースもあります。例えば、子宮頸がんは子宮の出口にできるがんなので、お腹をあけなくても膣の方から病気がある部分を切り取ることができます。通常は「ここが一番怪しい」という部分を少しだけ切り取る「組織診」で、がんなのかどうかを診断することができます。一方、卵巣がんは腫れている卵巣そのものをとるまではそれが「がん」なのかおそらくがんの手前の「境界悪性」なのか「がんに見えたけど良性」なのかを判別することはできません。
 手術を行う目的は、がんの種類と進行具合によって多少異なりますが、多くの場合は、例え術前に「がん」だと確定できても、それがどの範囲まで広がっているのか、どういう特性を持った組織なのかを見るために、そして、できれば悪い部分を全部取り除いてしまうために行うのです。

 がんは手術なんてしなくても消えるものだ、という意見もあるかと思います。これに対して私の個人的な意見は、「消える人もいれば消せない人もいる」ということです。がんの原因となる悪習慣をすべて改め、思考も改善し、なぜこのタイミングでがんになったのかをきちんと理解できた人は、もしかしたら手術をしなくてもがんが消えてくれるかもしれません。でも、それができる人はごくわずかだと感じています。例え生活習慣は変えられても、思考のパターンがそのままだったり、がんになることで学ぶべきことが受け取り切れないケースが多いように見受けられるのです。そのような人が、がんを「切らずに治す」とがんばって手術で切り取りきれるレベルだったものをむやみに進行させてしまうことはとても危険だと思います。
 時々、「子宮頸がんのステージ3が様子を見ているうちに消えた」という体験談が出てきます。問診でそのように書いてくださる方もいらっしゃいます。よくよくお話を伺うと、「ステージ3」ではなくて、子宮頸がんの細胞診の結果が「クラス3」だったのが正常になったということのようです。おそらく「子宮頸がんが勝手に治った」という体験談の大部分は、この「クラス3」つまり異形成という状態から正常化したというものなのだと思われます。異形成はほっておいても正常化することが多いわけですから、「がんが自然に治る」のと勘違いしてしまっては危険です。

 がんになったら絶対に手術しなければいけないというわけではありません。がんのある場所、進行具合、ご本人の年齢や全身状態によっては、手術をすること自体が生命予後を悪くするということもありうるでしょう。
 一方で、子宮頸がんの初期など、早く見つけて適切な範囲をきちんと手術で取り除けば、それ以上の治療は全く必要なく完治できるものもあるということを理解しておく必要もあります。
 手術を受けないデメリットについてきちんと理解して、手術をしないという選択をすることは間違いではありません。最も大事なことは、手術をしないという選択をした人が、手術をするという選択をした人に対してそれを否定してはいけないということだと思います。

日付:2015年10月1日  カテゴリー:日々の雑記

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がんで死なないために最も重要なことは?

  川島なお美さんの死や、北斗晶さんの乳がん手術の報道を受けて、がん治療についての様々な意見が飛び交っていますが、中には医療者から見ると明らかに間違っている内容や、今現在がんの治療を受けている方を混乱させてしまうような内容もあって、読めばよむほどモヤッとしてしまいます。

 私がまだ研修医の頃、がんセンターに勤務していた時に担当させていただいていた卵巣がんの再発患者さんが教えてくださったことが、とても印象的でした。
 「せんせ~、がんで死なないために一番重要なことって分かる?『いつ』『誰に』がんを発見してもらうかってことだよ」
 その方は、がんの自助グループにも入っていらして、多くのがん患者さんと接する中で出てきた意見なのだと思います。その時も、今思い返しても、もっともな意見だと思うのです。

 「いつ」発見されるか、つまりがんのごく初期の段階で発見できるか、手術もできない程進行した段階で見つかるかによって「予後」つまりどのくらいそのがんが「治せるか」またはどのくらい「生きられるか」は決まってしまうと言っても過言ではありません。
 ある意味、誰が手術しても取切れるくらい初期の初期で見つかれば、がんで命を落とすリスクはほとんどないわけですし、逆に全身に転移しているような状態で見つかれば、その先化学療法を選択しようが自然療法を選択しようが生命予後にほとんど差は出ないわけです。

 ちなみに、私の父親は食道がんの4期、つまり全身に転移してすでに「末期」といえる状態でがんが発見されました。自覚症状があったにもかかわらず、本人が半年以上放置していたのです。もちろん、定期検診なんて受けていませんでした。
 発見された段階で、どのような治療を選択しても父親の生命予後はあまり変わらないだろうと分かりましたから、家族の立場としては「できる限り口から摂取可能な状態を保つこと」「わずかな可能性にかけて負担が大きい治療を行うよりも除痛を中心とした治療を行うこと」を希望しました。ただ、本人が何をどう説明しても(「身辺整理をし始めてください」と言われても)、がんは「治る」と思っていたため、化学療法を行うことを希望してしまったんですが・・・結局、全身状態が悪すぎて、化学療法は1回しか行えず、発見から8か月後にこの世を去りました。

 「誰に」発見してもらうか、これは、がんを疑った段階で適切な検査や治療に導ける医師に出会えるか、そして、がんの状態に応じて最も有効な治療を選択できる医師に出会えるか、ということです。
 川島なお美さんが、がんが発見されてから手術を受けるまでに半年も時間をかけてしまったことは、生命予後を悪くしてしまった一因と言わざるを得ません。もし、確定診断のためにもすぐに手術を受けた方がよいということを熱心に説明してもらっていたら、少しは早く有効な治療を受けられたかもしれませんが、どんな医師に出会っても本人が「納得がいくまで説明を求める」というスタンスでセカンドオピニオンを求めてドクターショッピングをしてしまっては、結果は同じだったのかもしれません。

 大事なことは、治療を開始する時期を遅らせてしまわないこと、治療の有効性と体への負担のどちらが「より大きいのか」をきちんと見極めることです。そして、それらを一般の方が自分の知識だけで行おうとしても、なかなか難しいということを知っておかなければいけないと思います。

 がんの治療を選択する上で、いわゆる西洋医学的な治療を何も受けないという選択も、本人が納得した上での選択であれば、大事な選択肢だと考えています。「どの治療法を選ぶか」も含めて、それがその人の「寿命」なのだと思うのです。例え生命予後が悪くなっても、抗がん剤は使いたくないと本人が考えていれば、その選択は本人にとって「正解」です。
 ただ、その選択をする上で「選考にする情報」が間違っていては危険です。今後、ネット上に流れている情報の中でいくつか気になったものをピックアップしていきたいと思います。

日付:2015年9月27日  カテゴリー:日々の雑記

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