日々の雑記

なぜ親が親としての役割を果たそうとするほど子どもに病気が出やすいのか

  体重減少性無月経と母親の過干渉との関係などは以前から指摘されていますが、親子関係が婦人科疾患を引き起こす背景に隠れていることは珍しくありません。母親の過干渉を、娘さんご本人が息苦しいとか「嫌だ」と自覚している場合は、解決の糸口を見つけやすかったのですが、いわゆる優等生タイプや「いい子」を演じてしまうタイプの方だと、質問をしてもあまり親に対する反発心もなく、どのような関係性が隠れているのか見つけにくいことがしばしばありました。

 最近、過干渉な母親⇔従順な娘の関係の中で何が起きているのかがだんだん見えてきました。母親が「母親たるものこうでなければいけない」と思って「ちゃんと母親をやろう」と思えば思うほど、そして、娘さんが「いい子になろう」「親を尊敬しよう」とすればするほど、月経不順や月経困難症を引き起こしてくるのだということが分かってきました。
 ご本人が親を尊敬したり「親として」感謝していたりするので、一見問題点が見えにくくなるんですよね。でも、「子どもは常に親の望みを叶えようとする」という観点から見てみると、解決の糸口が分かってきます。

 母親が過干渉な場合、親の潜在意識下の望みは「親としての役割をこなしたい」つまり、子どもに対しては「子どもとして庇護下に置いておきたい」ということになります。親が親として「ちゃんとやろう」と思うことは、一見悪いことではないように思えるかもしれませんが、実はこの「親の望み」を叶えるためには、子どもは「子どものままでいる」必要が生じるのです。
 女性の場合、子どものままでいるとはすなわち卵巣機能を押さえておくということです。または、「子宮や卵巣なんていらない!」と思うような現象を引き起こすということです。これが、月経不順や月経痛という症状で現れているのだということが、何組もの母&娘関係を見る中で明らかになってきました。
 
「親らしくあろう」「子どもらしくあろう」と思うことが「悪いこと」であるという意味ではありません。ただ、「親らしく」の中身が「親なのだからこうあるべきこうあってはならない」という「べきべき思考」から発生している場合、親らしくあろうとすればするほど「本来の自分の姿」からずれてしまう場合があります。
 また、そんな親の無意識の望みをキャッチして、子どもが「子どもらしくあり続けよう」とすると、子どもの自立や精神的にも肉体的に成長することを抑えることになります。「思春期」と呼ばれる時期は、親子関係に何も問題がなくても、子どもが子どものままでいたい気持ちと大人になりたい気持ちがあいまざって揺れる時期です。この時期に月経不順やひどい月経痛が発生するのは、子どもらしく「在らねばならない」という意識が悪さしている可能性があります。

 最近は、こういったケースに対して、親に働きかけてもなかなか意識が変わらないので、ご本人だけに診察室に入っていただいてアプローチするようにしています。
 10代の月経不順の患者様は、一生懸命親を「尊敬しよう」としていらっしゃいました。でも、本人の「自分らしい生き方」は母親の生き方とは全く別だったんですね。母親と「違う選択」をすることがどうしても抵抗があるようだったので、「お母さんと違う人生を歩むことと、お母さんの人生を否定することはイコールではないよ。違う選択をしても、お母さんの人生はお母さんの人生として尊重していることになるんだよ」とお話ししたらぽろぽろ泣いていらっしゃいました。

 この親子関係を「よりよくする」方法は簡単です。双方が「自分らしく」生きればいいだけのことなんです。親だから、子どもだから、という枠を取り払ってみた時、自分は「どうありたいのか」「何がしたいのか」を基準に生きるということです。
 「自分らしい人生」の中に「母という役割をしっかり楽しむ」が入っているのであればそれをやったらいいですし、そうでない人生を選択したかったらその道をまっすぐ進めばいいのです。お互いが「こうあるべき」役割を確認し合っていても、どちらも幸せにはなれません。まずは「あなたから」先に、自分らしい人生を歩み始めてはいかがでしょうか。

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日付:2017年6月20日  カテゴリー:日々の雑記

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産まれた意味を自分で「つけ直す」

  先週になりますが、私のカウンセリングの師匠が主催する「リ・バース」というセミナーを受講してきました。タイトル通り「産まれなおす」というワークをとことん繰り返して、今までの自分の人生に起きた出来事を「ある存在」になって意味づけしていくという作業を行っていきました。
 自分がなぜ今の両親のもとに生まれたのか、なぜこれまでの人生を歩んできたのか、一つ一つの出来事に解釈をつけ直して、その先にある未来を見つめ直すという作業でした。私にとっては、特に幼少期から感じていた「ある感覚」の意味に気付くという非常に大きな気づきを得たセミナーでした。本当に、人生の意味付けが根底からひっくり返るくらいの重要な感覚を取り戻したのです。
 テキストの冒頭にこう書いてあります。「振り返った時に初めて人生を理解することができる。しかし、人生は理解する前に生きるようになっている。」まさに、その通りなのです。だから、人生を振り返るのは「死ぬ時」では遅いのです。でも多くの人は、振り返って愚痴を言うことはあっても、そこに未来につなぐ意味付けをするという作業は行いません。

 ワークの中には、「なぜ自分は今の両親を選んで生まれてきたのか」を見つめ直すワークもありました。これをやりながらふと、母の日に「感謝を強要される子どもがかわいそう」という書き込みをいくつか目にして、非常に違和感を覚えたことを思い出しました。
 2分の1成人式や、母の日・父の日のイベントに対して、「産まれたことに感謝できない子もいるのに」「親に感謝したくない子もいるのに」という指摘が散見されます。個人的には、「感謝すること」は他人から強要されることではありませんし、わざわざ学校単位で一人一人発表するようなことはしなくていいと思っています。同時に、親に感謝することは自然なことで、そのイベントそのものを否定する必要もないと考えています。「あなたはどんなことに感謝したいですか?」と問いかけることによって「感謝したいポイント」を探すアンテナが立ちます。その問いかけを小さい頃から行うことに意味はあるのです。
 様々な家庭環境や出生状況がある中で、それらの多様性に配慮した教育プログラムは必要でしょう。でも、私が感じた違和感は、そうした「過剰な配慮」が「かわいそうな子」を生み出しているのではないかといことです。

 「リ・バース」のセミナーの中には、症例として虐待を受けていた方の事例も紹介されました。その方にとって、虐待も「親に愛されていない」という感覚も、あることに気付くために必要なことだったのです。そう、その方にとって必要なことが必要な形で起きていて、そして、本人がその事実をどのように「解釈するか」で未来が変わりました。
 家庭環境や現在の環境的に、親に感謝するどころか「なんで自分を産んだんだよ!」と文句を言いたくなったり、感謝なんかするものかと思う人もいるかもしれません。今は、自分の置かれた環境にただただ悪態をつくしかできないかもしれませんし、死にたいと思っている人もいるかもしれません。
 そのような状況の人に対して、周りが「かわいそう」「感謝なんてしなくていい」という意味付けを与えてしまっては、その人が自分の人生の本当の意味に気付くチャンスを奪うだけのような気がするのです。
 感謝をするか、文句を言い続けるかも本人の選択です。どんな母親であっても「お腹の中で育ててこの世に命ある形で生み出してくれた」ということは事実ですし、それに対して「産まなければよかったじゃないか!」と否定し続けるのも、「産んでくれただけで感謝」と思うのも自由です。どちらの意味を「自分の人生」に対してつけるかで、その後の人生は大きく変わりますから、どのような人生を歩みたいのかを考えて今の自分に意味づけをしていけばよいと思います。
 私は、虐待を受けている人に対しても、「産まれなきゃよかった」と思っている人に対しても、「かわいそう」とか「恵まれない環境」といった解釈を持っていません。そんな意味付けは本人にとってためにならないからです。
 母の日も2分の1成人式も、やり方を変えれば、早い段階で自分の生まれた意味を「つけ直す」チャンスになるのですけれどね。優しい振りをして、本人が「リ・バース」するのを妨げていないか、周りの大人が振り返ってみる必要があるのかもしれません。

日付:2017年5月30日  カテゴリー:日々の雑記

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なぜワンオペ育児はなくならない?~見えにくいジェンダーバイアス~

 ムーニーのCMが「ワンオペ育児を賛美している」と指摘されているようですが、「賛美」しているかどうかはともかく、このCMを見た時、私自身も感動したり「よし頑張ろう」と思うどころか、「これじゃあ辛いママがもっと辛くなってしまう」と感じました。だってあまりにも悲惨な状況なのに、誰の手も借りれずに、ひっそりと泣いて、そして最後が「その時間がいつか宝物になる」ですから・・・宝物になる前に自分が壊れるんじゃないの?と突っ込まずにはいられません。
 CMに対する評価はこちらをご参照くださいませ。

 CMの中でいくつか突っ込みどころ満載のシーンが出てきます。突っ込みたくなるのは、CMを作成している会社に対してではありません。「こういう現実を作っている男性、多いよね」という「お父さん」達への突込みです。
 *夜泣きで眠れない→お父さんは別室でぐっすり?たまには交代したら?
 *赤ちゃん抱っこして重い買い物→お父さんが帰りに買い物くらいしようよ
 *赤ちゃんが泣いてお風呂もゆっくりつかれない→妻が入浴中の10分くらいお父さんがあやそうよ
 *自分の食事もままならない→お昼ご飯は無理として朝食と夕食は交代で抱っこすれば食べられるでしょう
 *自分のお肌の手入れもできない→妻がお化粧する5分くらいお父さんが抱っこしとこうよ

 CMの冒頭にちらっとだけお父さんがうつるので「あ、シングルマザーを描いてるんじゃないんだ」と気づけますが、ほぼシングル状態ですよね。
 これ見て、「うちもこんなだった~」「今まさにこんな状態です」という感想が多数寄せられているということは、日本全国のママたちの多くがワンオペ育児で奮闘しているということなんだと思います。逆に言えば、ワンオペ育児を妻にさせている夫が多数いるということです。

 なぜこのような状況が何の疑問も持たずにまかり通ってしまうのか、その背景には非常に見えにくい形でのジェンダーバイアスがはびこっているからだと思われます。ジェンダーバイアスは自分の親や「世間」から知らず知らずに刷り込まれるのでそれが「当たり前」だと思い込んでしまって気づきにくくなっているのです。
 例えば、次のシチュエーション、何がおかしいかわかりますか?

 共働きの夫が「妻の負担を減らすために夕食のおかずを買ってきてやったぞ」と自分が食べたいものを自分の分だけ買ってきました。妻は「ありがとう、助かった」と言いました。

 さらっと読むと、何も変だと感じないかもしれません。実はこれ、我が家で発生したやり取りです。
 では、これを妻と夫を逆にして読んでみてください。

 共働きの妻が「夫の負担を減らすために夕食のおかずを買ってきてやったぞ」と自分が食べたいものを自分の分だけ買ってきました。夫は「ありがとう、助かった」と言いました。

 何が変だか気づきましたでしょうか?入れ替えると、最後の夫のセリフが違うものになるかもしれません。そもそも、なぜ自分の食べ物を自分で買ってくることが「妻のため」なのでしょうか?

 では次のシチュエーションはいかがでしょうか?

 日曜日にセミナーに参加した妻にほかの参加者がこぞって「あら?今日はお子さんは?」と聞きました。妻は「今日は夫が見てくれているんです」と言いました。周りは「素敵なご主人ね~」と言いました。

 これ、実はよく見かけるやり取りです。日曜日でなくても、小さい子がいる母親が一人で出かけるとたいてい聞かれます。
 では、これも妻と夫が逆になったらどうでしょう?

 日曜日に趣味のゴルフに出かけた夫にほかの参加者が「今日は子どもはどうしたんだ?」と聞くでしょうか?「妻が面倒て見ている」という答えに「お前の奥さんホントすごいよな」というでしょうか?

 これらはすべて、食事の支度などの家事や子どもの面倒を見ることが「妻の役割」として認識されてしまっているから発生するものです。夫も周りも、そして妻本人も妻がやるのが「当たり前」だと思っているんですね。
 だから、家事をしなかったり子どもを預けて仕事や趣味の時間を作ると「申し訳ない」という気持ちになってしまったり、時にはそれを責められたりするんです。だからワンオペ育児も「私がやるべきことなのにちゃんとやれなくてごめんなさい」と一人でひっそり泣いて、「母親なんだから強くならなきゃ」で頑張り続けることを自分で自分に強いることになってしまうのです。

 ワンオペがダメだと言ってるわけでも、家事を夫婦で分担「すべき」と言ってるわけでもありません。分担の割合は、各家庭によって異なるでしょうし、我が家のように夫の仕事の状況と気分によって3:7の時もあれば9:1の時も発生したりするかもしれません。
 私は、このジェンダーバイアスに気付いて、女性に楽になってほしいと願っています。上記のように夫が自分の分だけ買ってきたら「ありがとう」ではなく「なんで?私のは?」って言っていいんです。日曜日に夫が育児をすることを「父親なんですから子どもを見るのは『すごいこと』じゃないですよ」と言っていんです。自分が「やるべきこと」だと思い込んで抱えているものを、やらなかったり人に任せたりしていいんです。
 ジェンダーバイアスは私の中にもまだたくさん潜んでいると思います。気づくポイントは上記のように男女を入れ替えて考えてみることです。入れ替えてみると何が変なのかがすぐにわかります。それに気づいたら「あ、変な思い込みしてた」と「枠」をひとつづつ外していけばいいんです。そうして、「堂々と自分のために」日々を過ごしましょう。

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日付:2017年5月25日  カテゴリー:日々の雑記

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妻が夫の病気に責任をとってはいけない理由

  更年期世代の患者様の中には、「夫が糖尿病で食事制限をしているので」「夫の食事に合わせて自分の食事も制限しているので」などなど、自分のために自分の食べたいものを食べるのではなく「夫のために」自分の食事をコントロールしている方が結構いらっしゃいます。「性差医療」といわれているくらいですから、そもそも男女で「健康になるための食事」の内容は異なるのです。メタボな中年男性に合わせて更年期世代の女性が食事制限をしたら、たんぱく質やミネラルが不足する可能性があります。
 総合病院に勤務していた時に、様々な疑問を抱えていましたが、「夫の食事についての説明を妻が受けに来る」というのもその1つでした。2人そろって聞いて、妻が「協力」するならまだしも、当の本人は「料理のことはわからん」といってきちんと説明を聞かず、栄養士さんや医師も「奥さん、しっかり管理してあげてください」と指導する・・・3歳の子どもじゃないんだから、自分で自分の健康管理させればいいんじゃないの?とずっともやもやしていました。

 何となく、いまだに、家族の健康に対して「妻」が「母」が責任を負わなければいけないという風潮があるのかもしれません。もちろん、妊娠中や授乳中の食べ物や飲酒・喫煙については、ある程度「子どものため」を思ってコントロールが必要です。でも、子どものためではなくそれらの改善は将来的な自分のためになることなのですから、子どものために自分を「犠牲」にする必要などありません。
 離乳食までは母親の管理が必要かもしれませんが、我が子を見ていて思うのは、5歳を過ぎたらすべては自己責任であるといことです。どんなに食事に気を使っていても、夫と留守番しているうちにファストフードに手を出したり、私に隠れてクローゼットの中でお菓子を食べたりするのですから、それによって健康を害しても「お母さんは責任を取りません」と宣言しています。「何を食べたらいいのか」も含めて、「自分で考えて自分で選択するように」ということを常日頃から言って聞かせています。でなければ、将来何かあった時に「母さんのせい」「環境のせい」「親のせい」などなど、全部「他人原因」でものを見てしまう癖がつくからです。

 夫の食事も同様で、妻がコントロールしたり責任をとったりする必要はありません。いろいろ工夫して出した食事にケチをつけられたら「ご自分でどうぞ!」と言っていいのです。制限がかかっている夫に遠慮して、大好きな食べ物を自分まで我慢する必要はないのです。
 なぜなら、夫の病気は「妻にかまってほしい病」の可能性が高いからです。特に糖尿病は「甘えること」、高血圧は「喜びや愛情を自分の中に巡らせること」に抵抗していると発生します。病気という「代弁者」を立てて、妻に甘えたり愛情を搾取しようとしているだけなのです。どうぞ、かまってちゃんはほっておいてください。構えば構うほど、病気は持続します。
 そして、妻が自分を甘やかしたり、自分の喜びを優先したりし始めると、夫の病気も改善し始めます。あなたは自分以外の誰の健康にも幸せにも「責任」を感じる必要はありません。自分自身を健康に、幸せにする方法を考えましょう。

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日付:2017年5月5日  カテゴリー:日々の雑記

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あなたが『ストレス』を感じやすいわけは?

  患者様とお話ししていると、非常に頻繁に遭遇する言葉があります。

  「ストレス」

 です。「最近ストレスが多くて」「生理が遅れたのはやっぱりストレスが原因ですか?」「ずっとストレスがあるので・・・」などなど、患者様の口から「ストレス」という言葉を聞かない日はありません。
 でも、以前お伝えしたように「ストレス」というものはそもそも存在しないのです。皆さんの中に、ストレスがどんな形をしているのか答えられる人がいますか?何色ですか?大きさは?おそらく、「ストレス」を目にしたことがある人はいないと思います。
 中には、夫を指して「あれが『ストレス』です」とか、残業時間を見てこれが『ストレス』です」という方もいらっしゃるかもしれませんね。それは「ストレス」ではなく、その人または状況と自分との関係がうまくいっていないというだけなのです。

 では、一般的にストレスを感じやすい人とそうでない人がいるのはなぜなのでしょうか?それは、物事をとらえる時の脳の「フィルター」が異なるからです。
 ストレスを感じやすい人は、ある特定の脳の使い方をしています。次のような脳の使い方をしていると、ストレスを感じやすくなるのです。

*苦痛系の脳を刺激している
 脳には、幸せや達成感を感じる「報酬系」の部位と、嫌なことや避けたいことを感じる「苦痛系」の部位があります。
 例えば、「ダイエットをするために食べたいものを我慢する」という状況の時、「ダエットで理想の体型になっている姿」を思い浮かべると報酬系の部位が刺激されます。「食べたいものが食べられない」ことを思い浮かべると、苦痛系の部位が刺激されます。
 この「苦痛系」の部位ばかりを刺激しているとストレスを感じやすくなるのです。

*外的基準で物事をとらえている
 以前も書きましたが、「外的基準」で判断するのか「内的基準」で判断するのかによって物事の見え方は全く異なってきます。
 ある「専門職」の方は、その専門性を活かして仕事をするのが「苦痛だ」とおっしゃっていました。自分が行った仕事に対して「相手が満足してくれるのかどうかが心配」「上司が適切に自分を評価してくれるのかが気になる」とおっしゃるのです。なぜ苦痛に感じるのかというと「外部からの評価」を気にしているからです。自分の仕事に対して、自分がどれだけやったかという評価をつけるのではなく、すべて「ほかの人の物差し」で測ろうとしているので、周りの人の反応が気になってしまいます。自分がやるだけのことをやっても、周りの人が評価したり褒めてくれたりしないと満足できなくなるというわけです。

*自分型の傾向が強い
 簡単に言うと「自分の考え方がすべて正しい」と考えているパターンです。正義感が強い人や、「○○すべきでしょう!」という考え方を常にしている人に多くみられます。自分が「こうあるべき」と思っている型に周りも当てはめようとするので、そこからはみ出す人や物事を受け入れることができず、葛藤が起きてしまうのです。
 自分型の傾向が強いと、他人を見てイライラすることが多くなってしまいます。例えば、仕事の同僚や自分の子どもなど、自分の「こうでなければいけない」という枠からはみ出た言動や在り方を見ると、それを責めたくなるのです。そうやって自分で「勝手に」イライラしていると、本人的には「ストレスがたまる」という状態になります。

 いかがですか?ここに挙げた脳のフィルターは、いくつもあるフィルターのほんの一部ですが、特に「ストレスが!」とおっしゃる方に多い傾向を挙げてみました。
 自分が持っているフィルターを少し変えるだけで、ストレスフルな毎日からゆるハピな毎日にガラッと模様替えできるかもしれませんよ。

日付:2017年4月7日  カテゴリー:日々の雑記

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子育ては自分育て

  新年度になって、我が家も長女の小学校入学&次女の保育園進級で、何となく子どもたちもそわそわしたりちょっと緊張している感じの数日間です。
 次女は、同じ保育園内で教室と担任が変わっただけなので、すぐに慣れてくれたようで、寝る前に「○○組さんになってどんな感じ?」と聞いてみたら「うれしい」と答えてくれました。ちなみに、進級した初日は「ばぶちゃん(赤ちゃんのこと)に戻りたい」と言ってましたが(笑)

 長女は、入学前から学童に行ってもらっていますが、まったく知らない人たちの中にいきなり入ったので、初日は半日めそめそ、2日目も朝離れる時はめそめそ。でも、だんだん慣れて、仲良しのお友達も見つけられたようです。
 初日に学童から帰った長女は、「なんで学童に行かないといけないの?」「お母さんに病院の人になってほしくなかった」と恨み言を言ってきました。以前の私なら、こう言われると凹んだり自分が働いていることに対して罪悪感を感じたりしていたかもしれません。長女を産んでから数年間は、長女に何かあるごとに罪悪感と戦っていましたから。

 でも、少し前から、長女が何を言おうがどうなろうが、「それでもお母さんはお仕事が好きで、今やっているお仕事に誇りを持っているの。お母さんのお仕事がたくさんの女の人を助けて、とっても世の中のためになるって確信があるから、だからお母さんはお仕事をし続けるんだよ」と言い切るようになりました。
 子どもに対して「申し訳ない」とか、「母親としての役割を果たしていない」といった事を感じるのではなく、堂々と胸を張って「何があろうと自分の使命を遂行する」と決め切ったのです。

 娘は、今は年齢的に「お母さんに甘えたい」と思うのが当たり前です。だから、私の仕事に対する姿勢や仕事の内容などを理解するよりも前に、「お仕事なんかしてないで私と一緒にいて~」と言って当然なのです。
 私の働く姿を見て、将来本人がどういう選択するかはわかりません。でも、いつかは私がしていることを理解してくれるという娘への信頼ができたからこそ、しっかりと胸を張って仕事に行けるようになったのだと思います。長女が産まれて6年で、私も親として成長しているんだな~と実感した瞬間でした。

日付:2017年4月6日  カテゴリー:日々の雑記

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「アナ雪」に学ぶ親の刷り込みと解消法

 

 「アナと雪の女王」は娘のお気に入りのひとつなので、もう何度もDVDを見てはいるのですが、地上波で再度見て、改めて作品に込められたメッセージに感動しました。

 人によって感動ポイントは違うと思うんですが、超個人的なツボは、やっぱりエルサの「もう力を抑えなくていいんだ~」と歌い上げるあのシーンです。「ウィキッド」の中にも、エルファバが同じように「自分の力は悪いものではないんだ。抑えなくていいんだ」と歌い上げるシーンがあるんですが、この歌を聞いた時も号泣でした・・・私自身が小さい時から「自分の力を抑えるように」「人が自分と同じようにできると思ってはダメだ」と教えられて育てられてしまったので、その呪縛から解放された時の気持ちはものすごく共感できるんですよね。

 「アナ雪」のエルサも、ある意味親の刷り込みによって自分の「力」の解釈が間違ってしまったわけです。「力」は危険なもの、人を傷つけるもの、だから隠さなければいけない・・・そんな刷り込みがあったせいで、エルサは「恐れ」から力を使ってしまうようになったんですよね。
 でも、エルサの親は決して我が子を傷つけようとしたり貶めようとしたわけではありません。そこには、我が子を守りたいという「愛」しかなかったはずです。でも、親も万能ではありませんから、間違ったことを教えてしまうこともあるわけです。
 エルサはまず自分の力を開放することでその呪縛から逃れ、そしてアナから受け取った「愛」によって、「力を『愛から使えば』大丈夫」ということを学び直しました。

 私たちは、多かれ少なかれ何らかの形で親から色んな刷り込みを受けています。中には、そんな親の「呪縛」によって傷ついたり、大人になって苦しんだり、親を恨んだりしている人もいるかもしれませんね。
 私の母親はよくこういっていました。「贅沢ばっかりしていたら、あなたたちが結婚するころには手作りの人参ケーキで結婚式をあげなきゃいけない時代になるかもしれないのよ」と。今の私の立場と知識でこの言葉を聞いても、「まあ、そういう生き方もあるかもね」くらいにスルーしてしまいますが、子どもって、親を通して社会を見るわけじゃないですか。私はそのことに、本田晃一さんのコンサルを受けることで気づかせて頂いて、「親を許す」ということを徹底的にやっていったので、例えばこの母親からの「貧乏体質」の刷り込みも解消することができました。本田晃一さんの言葉を借りると、「大人は自分を再教育できる」のです。
 どうやって親の呪縛から逃れるのかというと、実は簡単なんです。例えば、前述の母親の言葉は、「贅沢ばかりして将来お金に困るということのないように今のうちから堅実に生きなさい」という「愛」から発された言葉なんですよね。言っている内容が「正しいか間違っているか」は置いといて、「ああ、お母さんは私にお金に困らないようにって心配してくれてたんだ。ありがたいな~」という部分だけを受け取ればいいのです。

 「親を許す」ということをやっていた時、初めはうまくいきませんでした。なぜなら、「許す」=相手の行動や言葉が「正しい」と認めること、だと勘違いしていたからです。「許す」という作業の中に、「相手を認める」とか「相手を正当化する」といったことは全く必要ありません。

 正しいか間違っているかは、どっちでもいいんです。大事なことは、そこにある「愛」に気付くことです。親が本当はどういうつもりでその言葉を発したのか、その行動をとったのか、その「真実」が重要なのではなく、それを「自分がどう解釈するか」なんですね。
 まだ親の呪縛から逃れられずにもやもやしている人がいたら、まずはそこにどんな愛があったのかを「勝手に解釈」してみることをお勧めします。それでも、どうしてももやもやが解消されない時は、こうつぶやいてみるのです。「ああ、お母さん(お父さん)も、さみしかったんだな(辛かったんだな)(愛されたかったんだな)」。最後の「○○だったんだな」は、今自分が感じている感情を当てはめてみてくださいね。 

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日付:2017年3月6日  カテゴリー:日々の雑記

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影があるから光に気付ける

  毎朝子どもたちが見ているEテレの番組の中で、「逆にパワー」という曲が流れてくるんですが、この歌詞が結構すごいんです。内容的に陰陽の法則を現しているんですよね。一見「悪いこと」のように思われる出来事を、全部「逆に」プラスの解釈に変えていく歌詞になっています。この歌を初めて聞いた時に思い浮かんだのは陰陽マークでした。
 皆さんは陰陽マークって見たことありますか?白と黒の勾玉が組み合わさったマークです。私は、このマークの意味を、タッチフォーヘルスを学んだ時に初めて教えてもらいました。講師の先生の説明を一言に集約すると「闇を極めると光になる」ということです。

 以前の記事で「光を当てるから影ができる」と書きましたが、実はその逆もありなんです。つまり「影があるから光に気付ける」ということです。
 例えば、私たちは普段自分が歩けることに「ああ今日も歩けるなんてなんて幸せなんだ、ありがとう」とは思わないですよね。でも、怪我をして1か月間ギプス生活をしてみたらどうでしょう?いつも「当たり前」だと思って気になりもしなかった「普通に歩ける」ということが、いかに「有り難い」ことなのかが分かると思います。「怪我」や「歩けない」という影があるからこそ、「歩ける」ということのありがたみに気付けるわけです。


 すべての病気には、この「影」となるという役割があります。「影」=悪いこと、という意味ではありません。わざわざ病気という影を落としてくれた「光」の存在に気付かせてくれるのが「病気」です。
 陰陽マークと同じで、影が濃くなればなるほど、実は強い光が当たっているということなんですね。例えば、一般的な医学では「治らない」と言われてしまっていた難病や、がんなどの重い病気など、一見『なんで私がこんな目に合わなければならないんだ』と思ってしまうような病気こそ、実は「本来の生きる目的」に気付かせてくれる大切な「影」だったりするのです。

 病気だけでなく、人間関係や金銭的なトラブルなど、人生の中では「影」はいくつも存在しえます。それらの影を、影の方向を向いてじっと眺めていても光には気づけません。だって、光は影と「反対方向」から当たっていますからね。
 今あなたの「背中」に当たっている光の存在に、あなたは気づいていますか?
 
 

 
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日付:2017年3月3日  カテゴリー:日々の雑記

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光を「あてる」から影ができる

  もう1か月近く前になるのですが、毎年受けているチャネリングセッションを受けた時に、とても重要なそしていろんな方面に応用できるアドバイスをいただきました。
 それは、「『解決しよう』と思うから『問題』が発生する」という一言です。セッションでは「分かりにくいかもしれないが」と前ふってこのアドバイスをいただいたんですが、私の中では「それ、知ってるのに気づいてなかったよ~」という、本当にタイムリーで非常にわかりやすいアドバイスだったんですね。

 どういうことかちょっと解説しますと、私は「何も問題がなくて平穏な毎日を過ごせるようにどうやったら懸念事項がクリアになるか」を日々考えて過ごしていました。その時私が「問題だ」と捉えていたことがいくつかあるのですが、それらは一時的に解決したかな~と思ったら、しばらくしてまた浮上してきていたんですよね。内心「いつになったら問題がなくなるんだ~」と思っていました。今振り返ると、「だから問題が発生し続けるんだよ!」という感じですが・・・
 「解決しよう」と思って過ごしていると、「解決すべきこと」がなくなることを避けるために常に問題が発生し続けます。なので、そもそも何かを「解決しよう」と思わなければいいのですが、その問題と思っていたことが最初に起きた時の記憶が「また同じことを繰り返してはいけない」という認識を私の中に呼び覚まして、問題が起きる前から「問題意識」を持つという悪循環にはまっていたんですね。
 
 その問題と思っていた事柄は、あってもなくても、ただ日々自分がどうしたいかを考えてそれができる方法をその都度実践すればいいことなんですが、どうしても「この状態になったら『問題が解決した』と思える」という状態を設定して、そうなるためにどうすればいいのかばかりを考えていました。
 自分で「問題と思っていたこと」にスポットライトを当てて、それによってできる影をわざわざ濃くしていたんですね。

 これは、「病気を治そうと思う」ことにも同じことが言えます。病気をやめようと思ったら「病気を治そう」と思うのではなく、「病気」という影を発生させている「光源」がどこにあるのかを見つけるとよいのです。病気や体の不調にスポットライトを当てて、それらを「何とかして治そう」とすればするほど、そこにできる影が濃くなるだけです。
 なんとなくの不調が出たり引っ込んだりしながら、ずっと「スッキリ元気になれない」状態が続いている人は、このループにはまっている可能性が高いです。「病気を治そう」とするから「治すための病気」がいつまでも存在し続けるのです。
 「解決しようとしない」のと同様に、「病気を治そうとしない」のがポイントです。病気の状態であっても、体調不良があっても、それが「治ったらこうしよう」と思うのではなく、現時点から「こうしよう」と思っていることをやればいいんです。

 病気だけでなく、例えば「好かれようとする」「愛されようとする」「認められようとする」「楽しもうとする」といった行動も同じことが言えます。「愛される」ということにスポットライトを当てれば当てるほど、「愛されていない自分」という影が濃くなっていきます。すべてそこに自分で「光を当てようとする」から影ができているだけなんですね。
 でも、私もそうですが、影ばかりを見ている時は、その影が「自分があてた光によってできたもの」だとは気づきにくいものです。だから、多くの人は、影を見てそれを何とかしようとしてしまうんですね。あなたが今見つめている「影」はどこから来た光によってできているものですか?

 
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日付:2017年2月16日  カテゴリー:日々の雑記

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ラッピングを変えるとチョコの味が変わるのはなぜ?

  もうすぐバレンタインですね。皆さんは、誰にどんなチョコを用意していますか? 
 ここに、一見どこにでもあるそこそこおいしいトリュフがあります。このチョコを、次の3つのラッピングで渡した場合、味はどうなるでしょう?

1)コンビニで売っているチョコの器に入れてコンビニの袋に入れたまま渡す

2)いかにも手作り風のラッピングに入れて渡す

3)ゴディバの重々しい箱とラッピングに包んで渡す

 まず、もらった時の印象は同じでしょうか?きっと伝わる感情も変わってくると思います。1)だといかにも義理チョコだと思われるでしょう。味も安っぽく感じるかもしれません。2)だと、特別感や温かみが伝わるかもしれませんね。味も,実際よりおいしく感じようとするかもしれません。3)だと、高級感や背伸びしたい感じが伝わるかもしれません。味は「やっぱりゴディバは違うね」なんて思ってしまうかもしれません。
 もし、これらのチョコを食べた後「何円だと思いますか?」と質問したら、値段はどのようにつくでしょう。きっと、3)が一番高くなりますよね。人によっては2)を「プライスレス」だと判断する場合もあるでしょう。

 中身のチョコは全部同じです。でもラッピングを変えただけで、与える印象や値段まで変わってくるのです。私たちは、日頃からその事を理解して、無意識のうちにこの原理を利用しています。TPOに合わせてメイクや服装を変えるのも同じです。
 でも、残念ながら「目に見えないラッピング」に関しては、意識をすることがほとんどありません。そのために、本当はゴディバのラッピングをしておいた方がいい場面で、コンビニラッピングをしてしまって、いつまでたっても「低くみられる」ということが続いたり、逆に手作り風ラッピングが適している場面でゴディバのラッピングをしてしまって「距離が縮まらない」ということを繰り返したりするわけです。

 もしあなたが、今現在「どうにかしたいな」という場面や状況があるとしたら、まずはその場面で自分を「どんなラッピングにしているか」をイメージしてみてください。それは、その状況で相手に与えたい印象や自分が得たい感情にマッチしていますか?
 次に、その「どうにかしたい」状況がすっかりクリアになって理想の状態になった時の印象や感情をイメージしてみてください。その状況に合うラッピングはどんなものでしょうか?器は木ですか?陶器ですか?包装紙は何色ですか?リボンは?メッセージカードは?デコレーションは?細部までイメージしたら、そのラッピングの色を鮮明にしてみましょう。そして、そのラッピングにスポットライトを当てます。できれば、実際にイラストとしてそのラッピングを描いてみるといいでしょう。
 そうすることで、「自分を包んでいたラッピング」を本来必要な状態に書き換えることができます。重要なのは「入れ物」だったんです。中身ではありません。もし、まだラッピングをそのままにして中身を変えようと頑張っているのであれば、まずは「入れ物」をさくっと変えてみることをお勧めします。

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日付:2017年2月10日  カテゴリー:日々の雑記

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